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家族全員に裏切られ、私は愛を捨てた
私・水城知世(みずき ちせ)の夫、小栗恭介(おぐり きょうすけ)は、不倫相手と縁を切ったと言い、家庭に戻ってきた。 それ以来、家族全員が彼の監視役になった。 彼がゴミを出しに行けば、父があとをつけ、動画を送ってきた。 「おとなしくしてる。スマホにも一度も触ってない」 法律事務所で会議がある日は、母が清掃員に扮して中へ潜り込んだ。 「近くに女の影はまったくなし」 海外での裁判を終えて帰国したときは、親友の佐伯麻友(さえき まゆ)が機器まで持ち出し、彼の全身をくまなく調べた。 「女の髪の毛一本、口紅の跡一つなし。異常なし」 誰もが、恭介の心はもう私のもとへ戻ったと口をそろえた。 本人も毎晩、ベッドのそばにひざまずき、これからは私とお腹の子だけを愛すると誓った。 ところが妊娠7か月のとき、恭介が出張に出たため、私は一人で健診へ向かった。 産科病棟の前を通りかかった私は、赤ちゃんを抱いた恭介が、ベッドに横たわる女に激しく口づけているところを目にした。 その周りでは、私の両親と麻友までが目を潤ませていた。 ベッドにいたのは、以前の不倫相手、葉山真里(はやま まり)だった。 私の姿に気づくと、全員が身構え、とっさに赤ちゃんをかばった。 けれど私は静かに歩み寄り、恭介の襟元を整えた。 「かわいい子ね。あなたによく似てる。邪魔して悪かったわ。洗濯物があるから、先に帰るね」
チャプター (1)
第1章
私・水城知世(みずき ちせ)の夫、小栗恭介(おぐり きょうすけ)は、不倫相手と縁を切ったと言い、家庭に戻ってきた。
それ以来、家族全員が彼の監視役になった。
彼がゴミを出しに行けば、父があとをつけ、動画を送ってきた。
「おとなしくしてる。スマホにも一度も触ってない」
法律事務所で会議がある日は、母が清掃員に扮して中へ潜り込んだ。
「近くに女の影はまったくなし」
海外での裁判を終えて帰国したときは、親友の佐伯麻友(さえき まゆ)が機器まで持ち出し、彼の全身をくまなく調べた。
「女の髪の毛一本、口紅の跡一つなし。異常なし」
誰もが、恭介の心はもう私のもとへ戻ったと口をそろえた。
本人も毎晩、ベッドのそばにひざまずき、これからは私とお腹の子だけを愛すると誓った。
ところが妊娠7か月のとき、恭介が出張に出たため、私は一人で健診へ向かった。
産科病棟の前を通りかかった私は、赤ちゃんを抱いた恭介が、ベッドに横たわる女に激しく口づけているところを目にした。
その周りでは、私の両親と麻友までが目を潤ませていた。
ベッドにいたのは、以前の不倫相手、葉山真里(はやま まり)だった。
私の姿に気づくと、全員が身構え、とっさに赤ちゃんをかばった。
けれど私は静かに歩み寄り、恭介の襟元を整えた。
「かわいい子ね。あなたによく似てる。邪魔して悪かったわ。洗濯物があるから、先に帰るね」
第1話
恭介はその場に立ち尽くし、顔に動揺を走らせた。
「知世、話を……」
「そこにある服、洗っておけばいい?」
私は彼の言葉を遮り、ソファに積まれた服を指さした。
恭介は顔を青ざめさせ、慌てて私の手をつかんだ。
「知世、そんな態度を取るな。ちゃんと説明させてくれ」
「どんな態度?二人の邪魔をしないほうがいいでしょう?」
私は口元に薄い笑みを浮かべ、彼を見つめた。
恭介は首を横に振ると、私の反応をうかがうように尋ねた。
「怒ってないのか?」
驚くのも無理はなかった。
半年前、恭介と真里の関係を知った私は、正気を失ったように荒れた。
二人の情事を写した写真を千枚以上も印刷し、彼の会社の入口に貼りつけた。そればかりか、離婚を切り出した恭介を刃物で何度も刺し、その足で屋上へ上った。
あの日、両親と麻友は血まみれの恭介を引きずってきた。妊娠を示す検査結果を持たせ、私の前にひざまずかせた。
「知世、お腹に赤ちゃんがいるのよ!その子のためだと思って、一度だけ許してあげて!」
あのときは、誰もが私を狂っていると思っていた。
けれど今の私は黙ったまま、恭介の指を一本ずつ外した。
「もう、その必要がないから」
そのとき、彼の腕の中で赤ちゃんが身じろぎし、甲高い泣き声を上げた。その声が神経を逆なでした。
昨日まで私のお腹に頬を寄せ、「この子の第二の母親になるからね」と甘えていた麻友が、今は駆け寄ってきて私を突き飛ばした。
「話なら外でして!取り乱して赤ちゃんを怖がらせないでよ!」
「真里はあんたに気を遣って、特別個室にさえ入らなかったのよ。どれだけ我慢してきたと思ってるの?」
かつて私を案じるあまり、一晩で老け込んだ両親まで、真里の前に立ちはだかった。
「知世、真里はいい子なんだ。ここには身寄りがないんだから、出産には私たちが付き添わないといけないだろう」
大きなお腹を抱えた私は、最も身近なはずの人たちに押されるように後ずさりし、ドア枠にぶつかった。痛みで汗がにじんだ。
数秒かけて息を整え、ようやく口を開いた。
「好きにすればいい。私には関係ないから」
腰を支えながら立ち去ろうとすると、真里が目を赤くしてベッドからよろめき降り、私の前にひざまずいた。
「知世さん、みんなを責めないで。悪いのは全部、私なの!父に田舎へ連れ戻されて、無理やり結婚させられそうになったの。それでみんなが、子どもを産んで、もう結婚したことにすればいいって助けてくれて……昔、田舎から私を連れ出し、学校へ通わせてくれた恩は忘れてない。知世さんから旦那さんを奪うつもりなんて絶対にないから!」
泣きながらも、その目の奥にはひそかな笑みが浮かんでいた。
吐き気が一気にこみ上げた。私はとっさに真里の手を振り払い、壁に手をついてえずいた。
「真里!」
「知世、真里を突き飛ばすなんて!出産したばかりなのよ!」
麻友は血相を変え、私の頬を平手で打った。
たちまち頬が痺れ、熱を持った。
私は必死にお腹をかばい、反論しようとした。だが両親に押し出され、そのまま病室の外に追いやられた。
「今日は帰りなさい。ここで騒がないで」
扉が大きな音を立てて閉まった。
中からは、大勢で真里をなだめる優しい声が聞こえてきた。
私は一人、扉の外に締め出されていた。
雷鳴が轟き、廊下の向こうから吹き込んだ冷たい風に体が震えた。
恭介が傘を手に追ってきた。
「知世、雨だ。送っていく」
私が断らなかったので、彼はほっと息をついた。
「医者から、真里は今度中絶したら、もう子どもを産めなくなるかもしれないって言われたんだ。どうしても見捨てられなかった。でも、これだけは信じてくれ。俺が愛してるのは、お前だけだ。退院したら、真里と子どもは遠くで暮らさせる。もう二度と、お前には会わせない」
「どうでもいい」
私は振り返り、左手の薬指から指輪を抜くと、彼の足元に投げた。
「真里につけてあげれば?この子が生まれたら、私たちは離婚しよ」
第2話
恭介は私を追おうとした。
しかし背後から、麻友が彼を呼び止めた。
「早く戻って。真里が泣いてる!」
結局、彼は私に傘を押しつけ、その場に置き去りにした。
「俺は離婚しない。今日は一人で帰ってくれ」
傘を開くと、生地には穴が開いていた。まるで恭介との間にできた亀裂のようだった。
雨が細い筋となって内側へ落ちてきた。
命を奪うほどではない。けれど、心を冷え切らせるには十分だった。
タクシーに乗ったあと、私は真里のSNSアカウントを見つけた。そこには新しい動画が投稿されていた。
「赤ちゃんが生まれました。女の子です。夫が小栗莉杏(おぐり りあ)と名づけてくれました」
思わず手に力が入った。堰を切ったような悲しみが胸を満たした。
莉杏。それはかつて、亡くしたわが子のために私が考えた名前だった。
当時、恭介の会社を恨む者たちが数人の男を雇い、押しかけてきた。彼を守ろうと前に出た私は暴行を受け、その場で流産した。
その名を今、彼は何のためらいもなく別の子に与えたのだ。
私の苦しみも、あの子の死も、恭介の中からは跡形もなく消えていた。
涙で画面がにじんだ。震える指で、さらに下へスクロールした。
交通事故で脚を骨折した日、みんなは私に何百件もの心配するメッセージを送りながら、真里とは一晩中花火を眺めていた。
つわりで何も口にできなかったときは、食べられそうなものを適当にデリバリーで届けさせる一方、真里を連れて1週間のヨーロッパ旅行へ出かけ、オーロラの下で願い事をしていた。
私の誕生日には忙しいと言って来なかったのに、真里とは山頂で食事をし、星空を眺めていた。
600本を超える動画を、私は自分を痛めつけるように何度も見返した。やがて涙すら出なくなった。
疑ったことはあっても、心のどこかでまだ信じたかった。
けれど、これほどの事実を突きつけられた今、認めるしかない。みんなはずっと私一人を欺き、何も知らない愚か者にしていたのだ。
私はそっと下腹部に手を添え、呼吸を整えた。
「心配しないで。もうすぐママが連れていってあげるからね」
必要な書類を持ち出すため、私は実家へ戻った。
自分の部屋の扉を開けると、見覚えのない光景が広がっていた。
私の物はすべて運び出され、代わりに、かわいらしい女の子向けの部屋に作り替えられていた。
机の上にあった貝殻形のランプに触れると、背後から慌てた声が飛んできた。
「勝手に触らないで!」
買い物袋を提げた両親が玄関に立ち、責めるような目を私に向けていた。
「真里は自分の物に触られるのが嫌いなの。機嫌を損ねるでしょう」
私は母を見た。
「私の物は?」
「物置へ移したわ」
「ここは私の部屋でしょう」
母は私を睨み、台所へ向かった。
「真里は私たちにとって、もう一人の娘も同然なのよ。そんなことまで張り合うつもり?」
私はドア枠の脇に押しやられた。雨に濡れた服が、冷たく肌に貼りついていた。
それでも両親は、私を気遣う言葉一つかけなかった。
鼻の奥がつんと痛み、目が赤くなった。
「じゃあ私は?私はもう、二人の娘じゃないの?」
母は顔も上げずに言った。
「真里とあなたを比べられるわけがないでしょう。あの子は親孝行で優しくて、私たちのそばを明るくしてくれる。顔を見ているだけで嬉しくなるわ。あなたみたいに、いつも不機嫌な顔で、周りが全部悪いみたいな態度は取らないもの」
母はため息をついた。
「あなたさえ間にいなければ、真里と恭介はとっくに一緒になっていたのよ。もともと想い合っていた二人が、あなたに気を遣って何年も隠してきたの。少しくらい分かってあげられないの?」
実の母から、夫とその不倫相手を理解しろと言われた。
私は笑いながら涙を拭った。
「それならこれからは、真里に親孝行してもらって」
「どういうことなんだ?どこへ行くつもりだ?」
父が苛立たしげに振り向いた。
「汐見市で働くことになったの。もうここには戻らない」
そう告げて、内定通知を確認しようとスマホを取り出した。
だが届いていたのは、汐見総合病院の採用審査に落ちたことを知らせるメールだった。
【通報により、経歴詐称、複数の医療規定違反および贈収賄に関する記録が確認されました。そのため採用審査を不合格とし、今後も採用対象外といたします】
第3話
私はすぐに汐見総合病院に電話をかけ、事情を尋ねた。
電話口の声は冷たかった。
「優秀な方だと思っていたのですが、論文まで捏造していたとは残念です。小栗弁護士が不正の証拠を持って通報してくれなければ、こちらも騙されるところでした」
恭介だった。
怒りが一気に頭まで駆け上がった。引き止める両親を振り切り、私は病院へ向かった。
病室では、恭介が歌を口ずさみながら、真里を寝かしつけていた。
私が勢いよく扉を開けると、ベビーベッドの赤ちゃんまで泣き出した。
「恭介、どうして嘘の通報なんかしたの!医師になって人の命を救うのが、ずっと私の夢だった。そのためにどれだけ努力してきたか、知ってるでしょう!」
恭介はとっさに真里の耳を手で覆い、不快そうに私を見た。
「今年、汐見総合病院の採用枠は一人だけだ。真里も入りたがってる。経歴に箔をつけるにはちょうどいい」
私の怒りも問いかけも、彼にはそよ風ほどにも響いていなかった。
怒りで息をすることさえ苦しくなった。私は恭介の袖を強くつかんだ。
「今すぐ病院に説明して、通報を取り消して。さもないと名誉毀損で訴えるから!」
「やれるものならやってみろ」
彼は薄く笑った。
「港央市で、お前の依頼を引き受ける弁護士は一人もいない。俺が保証する。金には困ってないんだ。働く必要なんてない。家で子どもを育てればいい」
私は信じられない思いで彼を見つめた。涙が次々と頬を伝った。
「あなたを、憎むから……」
悲しみに沈む私の目を見て、恭介の表情がわずかに和らいだ。涙を拭おうと手を伸ばしてきた。
そのとき、真里がベッドを降りて歩み寄った。
「恭介、私から知世さんに話すね」
真里は私の腕に自分の腕を絡め、爪を肌に食い込ませた。そして耳元で小さく囁いた。
「知世さんの両親も、親友も、夫も、仕事も、全部私のものになった。前に患者から苦情を入れられて、病院を辞めさせられたのも偶然だと思ってた?
あれも全部、健診に来た私と鉢合わせしないよう、恭介が人を使って仕組んだことなの。諦めたほうがいいよ。知世さんは一生、私には勝てないから」
「黙って!」
目を赤くした私は、真里の頬を打とうと手を上げた。だがその手首を、恭介に強くつかまれた。
「真里に手を出すつもりか?」
彼は歯を食いしばって私を睨み、真里を背後にかばった。私に向ける目は凍りつくほど冷たかった。
「出ていけ」
私は顎を上げ、涙を拭った。
「私が何もできない女じゃないって、今日こそ思い知らせてあげる」
帰宅した私はパソコンを開き、恭介と真里の不倫を示す証拠や情事の写真を、128ページのスライド資料にまとめた。
それを真里のアカウントのコメント欄にすべて投稿した。
たちまちネットは騒然となり、情報は瞬く間に拡散された。
取材に応じる意思があるかと、メディアからも直接連絡が届いた。
返事をする間もなく、恭介が血相を変えてやってきた。
彼は歯を食いしばり、私を乱暴に立たせた。
「知世、真里を破滅させる気か?病院は記者だらけだ!今すぐ来て、嘘だったと説明して謝れ!」
「どうして私が謝るのよ!」
怒りに任せて腕を振りほどこうとしたが、彼の力はさらに強くなった。
恭介は険しい顔で言い放った。
「来ないなら、お前が出産する日に、誰一人診てくれる医師がいないようにしてやる」
私は耳を疑い、彼を見つめた。胸が引き裂かれるように痛んだ。
恭介は真里のために、私とお腹の子の命まで盾に取ったのだ。
唇を強く噛むと、口の中に鉄の味が広がった。
「分かった。行く」
病院には大勢の記者が詰めかけ、フラッシュが絶え間なく光っていた。
真里は怯えた小動物のように、恭介の腕の中で身を縮めていた。
私は冷たく笑い、マイクを受け取った。
「どうして私が、あれだけ世話になっておきながら裏切った人を、そのまま許すと思ったの?
ネットで言われていることは本当です。葉山真里は、夫の不倫相手です。昔、私は地元を出た真里をこちらへ呼び、学費まで援助しました。それなのに、真里は私の夫と関係を持ち、そのうえ子どもまで産んだんです」
その場がどよめいた。
真里はたちまち目を潤ませた。
「知世さん、あなたが私の夫につきまとっていたことも、彼に薬を盛って関係を持ち、彼の子を身ごもったことも、私はずっと我慢してきた。それなのに、まだ私を苦しめるの?」
そう言って彼女が取り出したのは、戸籍全部事項証明書だった。
そこには、恭介と真里が夫婦として記載されていた。
「恭介の法律上の妻は、私です」
第4話
私は呆然と顔を上げた。恭介の目が、気まずそうに私から逸れた。
麻友は真里の前に立って私を睨んだ。
「知世、いい加減に分かりなよ。人の家庭を壊そうとしてるのは、あんたのほうでしょう!」
母は精神疾患の診断書を取り出し、記者たちに頭を下げた。
「申し訳ありません。娘は心を病んでいて、ずっと恭介につきまとってきました。恭介に薬を盛って関係を持ち、真里にも迷惑をかけています。母親の私からお詫びします」
信じられない思いで母を見た瞬間、涙があふれ出した。
「お母さん?何を言ってるの。悪いのは真里のほうなのに……」
次の瞬間、恭介が医療スタッフを何人も連れてきた。
彼らは母から診断書を受け取ると、私に弁明する暇も与えず、首筋に鎮静剤を打った。
意識を失う直前、恭介と真里が指を絡め、寄り添う姿が見えた。
二人は私を一度も見ようとしなかった。
スマホを取り上げられた私は、10平方メートルにも満たない部屋に1か月も閉じ込められた。
もがき、抵抗し、脱出しようとして脚を折りかけた。それでも外へは出られなかった。
妊娠8か月になって、恭介がようやく姿を現した。
私の好きなまんじゅうを持ってきて、耳元の髪を優しく整えた。
「つらい思いをさせたな。外へ出て真里を傷つけないか、心配だったんだ。戸籍上、真里と夫婦になったのは、子どもを俺の戸籍に入れるためだ。お前が出産したら、すぐ離婚する。自分のほうが不倫相手だったと認めて、真里に土下座して謝れば、ここから出してやる」
私は大きなお腹を抱えたまま床にひざまずき、額が床につくほど何度も頭を下げた。
「ごめんなさい。私が不倫相手です。もう二人の邪魔はしません。これでいい?」
恭介の顔が曇った。何かを言いかけて唇を動かし、拳を固く握った。
結局、彼はため息をつき、私を家へ連れ帰った。
私は急いで荷物をまとめ、家を出ようとした。
ところが寝室を出たとたん、大勢がなだれ込んできた。
真里は涙で顔を濡らし、私の前にひざまずいた。
「お願い、知世さん。子どもを返して!さっき、りーちゃんの生後1か月を祝う準備をしていたの。知世さんが現れたあと、突然いなくなった!私に恨みがあるなら、私にぶつけて。娘には手を出さないで!」
あとから入ってきた恭介が、いきなり私の首を締めた。
「莉杏は生後1か月になったばかりだぞ。子どもにまで手を出すなんて、どうかしてる!」
息を奪われながら、私は必死に声を絞り出した。
「私じゃない……私だって母親なのに、子どもを傷つけるわけがない……」
「恭介、もし莉杏に何かあったら、私も死ぬ!」
真里は壁に頭を打ちつけようとし、両親に慌てて止められた。
「話しても無駄よ。さっさと吐かせればいい!」
麻友はベッド脇の引き出しを開け、裁縫道具から針を取り出すと、その先端を私の爪の間に当てた。
「本当に私じゃない!」
私は怯えて首を振り、恭介を見た。
しかし彼はつらそうに顔を背け、麻友に目で合図した。
外科医の私が、何よりもこの両手を大切にしていることを、みんな知っていた。だからこそ、どこを傷つければ私が屈するかも分かっていた。
けれど、してもいないことをどうやって認めろというのだろう。
「知世、あんたが言わないからよ!」
針が爪の間に突き刺さった。
焼けつくような痛みに顔が引きつり、声も出せないまま涙があふれた。
次の針を刺されようとしたとき、警察から電話が入った。
「お子さんが見つかりました。ご家族の方は、至急こちらへお越しください」
恭介の顔に喜びが広がった。彼は私を突き放し、全員が我先にと部屋を出ていった。
私は床に激しく倒れ、やがて体の下に血が広がった。
「赤ちゃん……」
体を引きずって扉まで進んだが、外から鍵をかけられていた。
下腹部に激しい痛みが走った。足元で少しずつ広がる赤を呆然と見つめ、涙をこぼした。
やがてベッド脇の果物ナイフへ手を伸ばし、手首に強く押し当てた。
その瞬間、扉が勢いよく破られた。
逆光の中から飛び込んできた長身の男が、焦った様子で私を抱き上げた。その声はひどく震えていた。
「知世、遅くなってごめん……」