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来世は、違うお母さんがいい
物心ついた頃から、私、宮崎麻琴(みやざき まこと)は見せしめのための道具だった。 まるで生まれてきた意味そのものが、兄の宮崎晋也(みやざき しんや)に説教を垂れるためであるかのように。 兄がオンラインゲームに1000円課金した時、母・宮崎富美子(みやざき とみこ)は容赦なくその1000円を私に払わせ、兄にお金のありがたみを骨の髄まで叩き込もうとした。 兄が万引きで捕まった時、母は私を人前に引きずり出し、店主の前に土下座させ、自分の頬を打たせて許しを乞わせた。それが、兄に恥をかかせて反省させるための「教育」だった。 兄が中学に上がって炭酸飲料ばかり飲むようになると、母はコーラのペットボトルに農薬を移し替え、私の部屋のいちばん目につく場所にそっと置いた。 何も知らずにそれを口にした私は、焼けつくような激痛に呻き、床を転げ回った。 父・宮崎克弘(みやざき かつひろ)は夜道を車で飛ばして、私を病院へ運んでくれた。 その途中、検問に引っかかり、アルコール検査を受けさせられることになった。 父の検査結果には問題がなかったというのに、母は笑いながら声を張り上げた。 「ハハハ!この機械、本当に役立たずね!こいつがビール1本飲んだことすら見抜けないなんて!」 後部座席で内臓を農薬に焼かれながら、朦朧とする意識の中で、私は見た。母は私になど目もくれず、ただ兄を見据えてこう言い放った。 「よく見ておきなさい。これが、何でも口にする子の末路よ」 母はまだぐずぐずと文句を並べていて、後部座席で呼吸がどんどん弱くなっていく私には、気づきもしなかった。 母さん、今回は、私の命をもってあなたに思い知らせてやる。それで、満足?
チャプター (1)
第1章
物心ついた頃から、私、宮崎麻琴(みやざき まこと)は見せしめのための道具だった。
まるで生まれてきた意味そのものが、兄の宮崎晋也(みやざき しんや)に説教を垂れるためであるかのように。
兄がオンラインゲームに1000円課金した時、母・宮崎富美子(みやざき とみこ)は容赦なくその1000円を私に払わせ、兄にお金のありがたみを骨の髄まで叩き込もうとした。
兄が万引きで捕まった時、母は私を人前に引きずり出し、店主の前に土下座させ、自分の頬を打たせて許しを乞わせた。それが、兄に恥をかかせて反省させるための「教育」だった。
兄が中学に上がって炭酸飲料ばかり飲むようになると、母はコーラのペットボトルに農薬を移し替え、私の部屋のいちばん目につく場所にそっと置いた。
何も知らずにそれを口にした私は、焼けつくような激痛に呻き、床を転げ回った。
父・宮崎克弘(みやざき かつひろ)は夜道を車で飛ばして、私を病院へ運んでくれた。
その途中、検問に引っかかり、アルコール検査を受けさせられることになった。
父の検査結果には問題がなかったというのに、母は笑いながら声を張り上げた。
「ハハハ!この機械、本当に役立たずね!こいつがビール1本飲んだことすら見抜けないなんて!」
後部座席で内臓を農薬に焼かれながら、朦朧とする意識の中で、私は見た。母は私になど目もくれず、ただ兄を見据えてこう言い放った。
「よく見ておきなさい。これが、何でも口にする子の末路よ」
母はまだぐずぐずと文句を並べていて、後部座席で呼吸がどんどん弱くなっていく私には、気づきもしなかった。
母さん、今回は、私の命をもってあなたに思い知らせてやる。それで、満足?
第1話
「ハハハ!この機械、本当に役立たずね!こいつがビール1本飲んだことすら見抜けないなんて!」
母のその声を聞いた瞬間、私は激痛に全身を痙攣させながら、車の座席に血を吐き出していた。信じられない思いで母を見つめる。
警察官の顔つきも一瞬で険しくなった。
「運転手の方、降りてください!アルコール検査にご協力を」
父は目を血走らせて母を睨みつけながら怒鳴った。
「富美子、頭がおかしくなったのか?俺が酒一滴も飲めないって知らないわけじゃないだろう!冗談はやめろ、麻琴が死にかけてるんだぞ!」
兄も母に飛びつき、その腕を必死に揺さぶった。声は震え、まともに言葉をつなげられないほどだった。
「か、母さんッ!お願いだから冗談はやめて!麻琴は農薬中毒なんだ、これ以上遅れたら本当に助からないって!」
それでも母は、父が酒を飲んだのだと言い張り続けた。たとえ検知器でアルコール反応が出なかったとしても、規則である以上、警官は父を連れて、採血を含むより詳しい検査をせねばならない。
車を運転できるのは父しかいない。兄には免許がない。
これ以上時間を無駄にすれば、私の命は本当に終わる。
警官が今にも父を車から降ろそうとした時、私は全身の力を振り絞って身を起こし、かすれた声で警官に懇願した。
「おまわりさん……父はお酒なんて飲んでません……母はただ、でまかせを言ってるだけなんです。お願いです、先に病院に行かせてください。私、農薬を飲んでしまって……もう限界で……」
言い終わらないうちに、激しく咳き込み、口の端から大量の血が溢れ出た。
その様子を見て、警官の顔色がさっと変わった。
農薬中毒は軽く見ていい事態ではない。
けれど折悪しく、夕方の帰宅ラッシュで交差点は車がピクリとも動かないほど渋滞し、この検問地点はもともと人手が足りておらず、全員がそれぞれの持ち場を離れられないため、私を単独で病院に運ぶための人員も車両も、どうにも捻出できなかった。
警官は作動中のボディカメラをちらりと見やり、母に向かって厳しい声を張り上げた。
「運転手さんは、結局お酒を飲んだんですか、飲んでないんですか!?飲んでいないなら今すぐ出発して結構です!飲酒が確認できるなら、これから手続きに従って連行します。その後の責任は一切ご自身で取っていただきますよ!」
私は泣きながら母に懇願した。
「母さん、お願いだから本当のことを言って……もう限界なの。ひと言、本当のことを言ってくれるだけでいい。私の命さえ助かれば、この先どんなに怒られても、罰せられても、私は……っ、全部受け入れるから」
周りの通行人たちも見るに見かねて、口々に声をかけ始めた。
「奥さん、お子さんがこんなに苦しんでるんだ、まずは命を助けてあげてくれよ!」
「そうだそうだ、命に関わる状況で冗談言ってる場合か!」
その責めるような声を聞いて、母は面倒くさそうに警官に向かって手を振った。
「はいはい、大げさね。ちょっとした冗談よ!」
張り詰めていた私の心が、ようやく少しだけ解けた。支えていた体から、力がどっと抜けていく。
けれど、警官が手を引き、父がエンジンをかけようとしたその時。母がまた、くすりと笑い声を漏らした。
「ふふ、あなたたち、本当に騙されやすいのね。克弘は今日は同窓会でお酒をたくさん飲んだのよ。このまま行かせたら、きっと誰か轢き殺すわよ」
警官は血相を変えた。父を運転席から力ずくで引きずり出し、同僚に厳しい声で署へ連行するよう命じる。
私は息が詰まりそうになった。胃の激痛と胸の苦しさが絡み合い、目の前が真っ暗になって、意識が飛びかけた。
兄は、痙攣し続ける私の体を見て、ついに我慢の限界を超え、ヒステリックに母へ怒鳴りつけた。
「もう母さん!頭がおかしくなったのか!?麻琴がどれだけ危険な状態か、見えてないのか!?」
それを聞いても、母の顔は驚くほど平静だった。
「何を騒いでるの?よく見なさい。
今日は、妹が苦しむ姿を見て、反省しなさいってことよ。
出所不明の飲み物にむやみに手を出してはいけない。それに、毎日毎日炭酸をがぶ飲みするのもいい加減にしなさいってこと!」
私は信じられない思いで目を見開いた。
人の命がかかっているこの場で、母はまだ兄に説教を垂れていたのだ。
父は怒りのあまり全身を震わせ、声すら裏返っていた。
「麻琴があんな状態なのに!お前はまだ……まだ……っ!」
父は怒りで言葉にならなかった。それでも母は平然としていた。
「あの農薬は水でかなり薄めたのよ、そんなに大したことないわ。麻琴は若くて体も丈夫なんだから、そんなに心配しなくても」
母は兄の方へ顔を向けると、口調はむしろさらに厳しくなった。
「晋也が毎日コーラを飲むの、前から気に入らなかったのよ。今日こそ、骨の髄まで覚えさせないと!」
私は横たわったまま、農薬で焼かれるような感覚が、胃から喉元へと這い上がってくるのを感じていた。
耳元でさまざまな声が交錯していたけれど、もうほとんど聞き取れなくなっていた。
その時、1台の自家用車が路肩に急停車し、中年の男性が足早に駆け寄ってきた。
父が幼い頃から一緒に育った幼馴染、坂本健一(さかもと けんいち)だった。
彼は警官に向かって声を張り上げた。
「私はこの運転手の幼馴染です。子どもたちが育つのを、ずっとそばで見てきました!
私は今日、一滴も酒を飲んでいません。それは証明できます!
この子を病院へ運びます!手続きは規則通りに進めていただいて構いませんが、麻琴を絶対に助けます!」
兄は、みるみる冷たくなっていく私の体を抱きしめながら、目を真っ赤にして健一に何度も頭を下げた。声を詰まらせながら、ただひたすら礼を言い続け、私を抱いてそのまま車へと駆け出そうとした。
父も健一に向かって、声を詰まらせながら「この恩は一生忘れない」と言った。
兄の腕の中で丸まりながら、引き裂かれるような胃の激痛に耐えながらも、私はようやく安堵の息をついた。
健一は、父のいちばんの親友だ。
彼が病院へ運んでくれるなら、胃洗浄を受けられる。処置を受けられる。生きられる。
けれど、兄が私を健一の車に乗せようとした、まさにその瞬間——母が突然駆け寄ってきて、車のドアにしがみついて離れず、私たちを車に乗せまいとした。
第2話
その場にいた誰もが凍りついたように立ち尽くし、あたりは一瞬にして静まり返った。
兄は怒りに全身を震わせ、私を抱く腕まで揺れていた。
「母さん!今度は何のつもりだ!?坂本さんは麻琴を助けに来てくれたんだぞ!どいてくれ!」
それでも母は健一を睨みつけたまま、甲高い声で叫んだ。
「あんた、誰なのよ!?私、あんたのことなんて知らないわ!うちの娘が、どうして見ず知らずのあんたの車に乗らなきゃいけないの!?人さらいだったらどうするつもり!?」
そのひと言に、私たちだけでなく、健一本人まで呆然としてしまった。
「富美子さん?何を言ってるんだ?健一だよ!克弘とは子どもの頃からの付き合いじゃないか!ほら、先月だって一緒に食事したじゃないか、もう忘れたのか?」
父も愕然とし、母に駆け寄ってその腕をつかんだ。目には驚きと怒りがない交ぜになっていた。
「お前、正気か!?健一を知らないなんてあり得るはずないだろう!この子たちが生まれた時も、お祝いを持ってきてくれただろう!
正月も、お盆も、いつも一緒に食事してきたじゃないか!お前がいなかったことなんてなかったのに、今さら知らないと言うのか!?」
「知らないものは知らないのよ!」
母は父の手を振り払い、それでも頑としてドアを塞ぎ、一歩も引かなかった。
「世の中にはそっくりさんだっていくらでもいるでしょう!何で私があの人を信じなきゃいけないの!?もし詐欺師だったら?娘に万が一のことがあったら、克弘、責任取れるの!?」
そばにいた警官も、さすがにこれ以上は見過ごせなくなった。
彼女は健一の運転免許証を指さし、続けてボディカメラを指し示した。
「こちらの方は既に免許を提示していますし、車のナンバーも控えてあります。この方にお子さんを病院まで運んでいただければ、一部始終が記録に残ります。お子さんは今、命に関わる状態です。すぐにどいてください」
それでも母はどこうとせず、逆に車のドアを掴んだまま声を張り上げた。
「警察だからって何よ!?警察がついていれば、絶対に悪い人間じゃないって保証できるの!?ニュースに出てくる人さらいだって、顔に『悪人』って書いてあるわけじゃないんだから!
私はね、娘を守ろうとしてるだけなの!この子だって大きくなったら、私の用心深さに感謝するはずよ!」
守る。
その言葉を聞いた瞬間、胃の中を誰かの手で乱暴に掻き回されるような感覚が走り、また口から鮮血がこみ上げてきた。
血は顎を伝い、兄の服の上に滴り落ちた。
彼は瞬く間に広がっていくその暗い赤色を見下ろし、目を真っ赤に染めた。
「母さん、それが……守るってことなのかッ!?」
その声は掠れ、胸の奥から無理やり絞り出したような響きだった。
「麻琴は今、血を吐いてるんだぞ!体はどんどん冷たくなってる!これ以上邪魔をしたら、本当に死んでしまうんだ!」
周りにいた人の中には、スマホでこの様子を撮影しようとする者もいた。
母はすぐさま振り向き、その相手に厳しい声で怒鳴りつけた。
「何を撮ってるの!?他人のことに首を突っ込まないで!今すぐ消しなさい!」
スマホを構えていたのは、若い女性だった。
彼女はスマホを下ろすどころか、怒りで目を赤くしながら言い返した。
「娘さんが死にかけてるのに、他人が撮る撮らないなんて気にしてる場合ですか?たとえ赤の他人だとしても、あなたよりよっぽどこの子を助けたいと思ってますよ!」
「あんたに何が分かるの!?」
母は一気に激昂した。
「この子は私が産んだのよ!体のことなら、私が一番よく分かってるの!
農薬だって、私がちゃんと自分の手で水で薄めたのよ!ほんの少しだもの、死ぬはずないでしょう!」
母は、悪びれもせずにそう言い放った。
まるで私が痛みにのたうち回っていることも、口から溢れ出るこの血も、ただの芝居にすぎないとでも言わんばかりに。
兄は私を抱きしめたまま、私の呼吸がどんどん弱くなっていくのを見て、ついに耐えきれなくなった。母の前にどさっと膝をつき、泣きながら懇願した。
「母さん!頼むよ!麻琴がもう限界なんだ!これ以上遅れたら、本当に助からなくなる!坂本さんは僕らのことをずっと見守ってくれてた人だ、僕らを傷つけるはずがない!」
第3話
それでも母は、まったく動じなかった。
眉をひそめて兄を見下ろし、その口調にはむしろ苛立ちさえ滲んでいた。
「晋也、立ちなさい!男のくせに、軽々しく土下座なんかするんじゃないわよ!みっともない!」
その言葉は、私の頬を思い切り張り飛ばしたかのように響いた。
兄は土下座してはいけない。
けれど兄が万引きで捕まった時、母は私を店の前に跪かせ、自分の頬を叩かせながら、店主に代わりに謝らせたではないか。
兄は男の子だから、彼にはプライドがある。
そして私のプライドなど、最初から一文の価値もなかったのだ。
父は怒りのあまり胸を強く押さえ、怒鳴った。
「富美子!お前は一体いつまで騒ぎ続けるつもりだ!?娘が死にかけてるんだぞ!お前は一体何がしたいんだ!?」
「私が何がしたいって?」
母は急に声を張り上げた。その口調には悔しさと恨みが入り混じっていた。
「全部あんたのせいでしょう!」
父は一瞬、呆気に取られた。
健一が好意で娘を助けに来てくれたことと、自分と一体何の関係があるというのか。自分が、一体何を間違えたというのか?
誰もが信じられない思いで見守る中、母はついにヒステリックにその「真相」を叫び出した。
「先週は、私たちが付き合い始めて20周年の記念日だったのよ!半月も前から一緒に過ごそうって言ってたのに、あんたはすっかり忘れてた!おめでとうのひと言すらなかったじゃない!
あんた、物忘れが酷いんでしょう?私に関わる日付なんて、ひとつも覚えてられないんでしょう?だったら今、教えてあげる。その何に対してもいい加減な態度が、どんな結果を招くのか、その目でしっかり見ておきなさいよ!」
父はついに堪えきれず叫んだ。
「富美子!いい加減にしてくれ!お前、1年でいったい何回記念日を祝えば気が済むんだ!?
結婚記念日、付き合い始めた記念日、初デートの記念日、初めて手を繋いだ記念日まで祝うんだぞ!俺が一度でもそれらをおろそかにしたことがあったか!?
新しいプロジェクトを任されたばかりの時だって、毎日2時間しか寝てなくて、体が壊れる寸前だったから、たまたま忘れてしまっただけだろう!
それだってすぐに給料が振り込まれる口座ごとお前に渡して詫びを入れたじゃないか!
なのに何で今さらそれを持ち出すんだ!?」
父が言い返してきたことに、母はますます怒りを募らせた。
「克弘、何よその偉そうな態度は!?
自分が悪いんでしょ!あんたからお金を渡されたからって、私が許したことにはならないの!それに、結婚した時は私のことをロマンチックだって褒めてたくせに、今になって面倒くさい女だなんて、よくも言えたものね!?」
父は口を開いたまま、しばらく言葉が出てこなかった。
まさか自分がひとつの記念日を忘れたことの代償が、こんな形で娘の身に降りかかるとは、想像もしていなかったのだろう。
私は急に、ひどく疲れを感じた。
胃の痛みも、もう感じなくなっていた。手足の痙攣も止まっていた。
けれどそれが、決していいことではないと、私自身がいちばんよく分かっていた。
体は、少しずつ感覚を失っていっている。
兄は私が目を閉じたことに気づき、恐怖に駆られたように必死に私の頬を叩いた。
「麻琴?麻琴!寝るな!」
父は、妻と話しても無駄だと悟り、兄の腕の中で意識が朦朧としていく私を見て、居ても立ってもいられなくなった。ついに警官に向かって、そのまま土下座した。
「……おまわりさん、後で必ず検査は受けますから。ですが、どうかお願いです、先にこの子を病院へ運ばせてください!
農薬を誤って飲んでしまって、もう限界なんです。これ以上遅れたら、本当に助からない……っ」
ふたりの警官が慌てて父を助け起こした。
彼らは兄の腕の中で息も絶え絶えになっている私を見ると、ちょうど応援に駆けつけたばかりの同僚に事情を伝え、私をパトカーへと乗せた。
サイレンを長く鳴らし続けながら、私たちはようやく病院の救急外来へとたどり着いた。
救急処置室に入りさえすれば、もう助かる。そう思っていた。けれど母は、そこでまた騒ぎを起こし始めたのだった。
第4話
私が処置台に乗せられたばかりの時、処置室の扉が乱暴に押し開けられた。
母が血相を変えて飛び込んでくるなり、私の腕の点滴チューブを引きちぎろうとした。
「あんたたち、何なのよこの病院!金を取ることしか考えてないんじゃないの?ちょっと薄まった農薬を飲んだだけでしょう?それなのに、いきなり検査だの処置だのでこんなにお金がかかるなんて、ぼったくりじゃない!」
兄は目を真っ赤にし、焦りきった様子だった。まだ学生の兄には、母を説得することしかできない。
兄は必死に母の腕をつかんだ。
「母さん、いい加減にして!今は麻琴の治療が先だろ!先生だって危ないって言ってるんだから!」
「あんたに何が分かるの!」
母は兄を思い切り突き飛ばした。
兄は腰を医療用ワゴンにぶつけ、トレイの上の医療器具がガシャンと音を立てて床に散らばった。
「病院なんて、少し具合が悪いだけですぐ検査だの入院だのって大げさに騒ぐんだから!この子だって、ちょっと農薬を口にしただけでしょう!」
「ちょっとじゃないだろ!」
兄が声を荒らげる。
「実際にこんなに苦しんでるじゃないか!」
「私はこの子の母親なのよ。どれくらい入れたかだって、私が一番よく分かってるわ。
死ぬほどの量じゃない!」
そう言いながら、母は処置台に横たわる私の腕をつかんだ。
「もういいわ。こんなところにいたら、必要もない検査ばかりされるだけよ。入院なんてさせない。家に連れて帰るから」
「母さん!」
「自分で産んだ娘を、私がわざと危ない目に遭わせるわけないでしょう!先生たちが大げさに言って、こっちを不安にさせてるだけよ。こんな病院じゃ信用できない。どうしても診てもらうなら、別の病院にするわ!」
母はそう言って、無理やり私を処置台から起こそうとした。
看護師たちが慌てて母の前に立ちはだかった。
「患者さんは今、動かせる状態ではありません!」
「どきなさい!この子は私の娘よ、治療するかしないか決める権利は私にあるの!」
処置室の入り口は、たちまち騒然となった。
睨み合いが続く中、採血を終えた父が急いで駆けつけ、この光景を見て理性を失いかけた。
目を血走らせ、父は叫んだ。
「富美子!これ以上騒ぐなら、俺たちは今すぐ離婚だ!子ども二人は俺が引き取る!お前には二度と会わせない!」
「離婚」という言葉を聞いた瞬間、母は明らかに動揺した。
さっきまであれほど強気だったのに、急に顔色を変え、慌ててバッグの中を探り始める。
父と兄は、ようやく母が我に返り、治療を邪魔するのをやめる気になったのだと思い、ほっと息をついた。
けれど、次の瞬間だった。
母は財布とキャッシュカードをしっかり握りしめると、何も言わずにくるりと身を翻し、そのまま処置室を飛び出していった。
離婚を切り出された途端、母の頭に浮かんだのは、私の容体ではなく、自分のこれからの生活と家のお金のことだった。
父と兄は慌ててその後を追っていった。
言い争う声は次第に遠ざかり、やがて完全に消えた。
処置室には、私と、懸命に処置を続ける医師や看護師たちだけが残された。
農薬はすでに私の内臓をひどく傷つけていた。
瞼はどんどん重くなり、モニターの警告音はますます甲高くなっていく。
懸命な蘇生処置が続けられたが、それでも私の意識は、抗いようもなく上へ上へと浮かび上がっていった。
モニターの波形は何度か小さくもがくように震え、やがて、一本の平坦な線に変わった。
鋭い警報音が、処置室いっぱいに鳴り響いた。
医師たちの動きが、少しずつ止まっていった。
どれほど時間が経ったのか、医師の一人が壁の時計に目をやり、重い声で言った。
「死亡時刻を記録してください」
再び目を開けた時、私は天井の下に浮かんでいた。
処置台の上には、生気を失った私の体があった。
そこへ、母が息を切らしながら真っ先に戻ってきた。
父は怒りのあまり全身を震わせた。
「富美子!麻琴があんな状態だったのに、お前はどこへ行ってたんだ!?何度も電話したのに出もしないで……この数十分に何かあったら、どうするつもりだったんだ!」
母は悪びれる様子もなく、バッグを抱え直した。
「銀行に行ったのよ。だって、離婚するなんて言うからでしょう!口座もカードもそのままにしてたら、あとで困るのは私じゃない。それに、晋也にも一度ちゃんと、お金の扱いは慎重にしなきゃ駄目だって覚えさせたかったのよ」
父は眉をひそめた。
「今それをやる必要がどこにあるんだ!」
「前にもネットで怪しいページを開いて、危うくお金を取られそうになったことがあったでしょう?何でもスマホで済ませればいいってものじゃないの。こういう時くらい、ちゃんと用心することを覚えさせないと」
父は言葉を失った。
「娘が生死の境をさまよってる時に、お前が考えてたのはそんなことなのか……?」
「そんなことじゃないわよ。晋也のためでもあるでしょう」
そう言い終えると、母は何事もなかったかのように処置室の扉を押し開けた。