第1章
私の名前は水野七海(みずの ななみ)。
佐伯蓮(さえき れん)と付き合って5年目の年のこと。彼の家族が長年F国に住んでいる。結婚の話を進めるため、私と母をF国へ招待してくれた。ついでにバレンタインデーも一緒に過ごそう、というのだ。
夜の10時すぎ、母と私は飛行機を降りた。けれど蓮は、迎えに来ていなかった。
というのも、彼の大学の後輩である藤崎沙耶(ふじざき さや)も、F国に着いたばかりだったからだ。
彼は、自分でなんとかタクシーを拾って来るようにと私に言った。
右も左もわからない土地で、母と私は空港を出て十数分も歩いたところで、すぐに治安の悪い地域に迷い込み、強盗に遭ってしまった。
母は私をかばって刃物で刺され、血の海に倒れた。
私はただ一人、傷ついた母を抱きしめながら、必死に蓮へ電話をかけ続けた。
何度かけても切られ、ようやくつながったかと思えば、彼はひどく苛立った声を出した。
「七海、君はもう大人だろう。何か問題があったら自分で何とかしろ。
沙耶はこっちに来たばかりで体調が良くないんだ。俺がついていてやらないと」
そう言うと、彼はすぐに電話を切った。
かけ直すと、私の番号はすでにブロックされていた。
結局、母は傷が深すぎて、出血多量で助からなかった。
母の亡骸を見つめながら、私は涙が止まらなかった。
改めてスマホを開くと、真っ先に蓮がSNSに投稿した写真が目に飛び込んできた。
写真の中で、彼は沙耶と抱き合って口づけを交わしていた。傍らにはバラの花束。
【バレンタインデーは、一番愛する人と一緒に】
私は無言のまま、はるばる国内から持ってきたプレゼントを、すべてゴミ箱に捨てた。
そして、コメントを書き込んだ。
【末永くお幸せに】
第1話
スマホを切って間もなく、蓮から電話がかかってきた。
「七海、いい加減にしろ!
俺の家族は好意で、君とお義母さんをF国に呼んだんだ。遅れてきただけでもありえないのに、俺のSNS投稿にコメントするとは、どういう意味だ?
君たちを迎えるために、兄も姉もわざわざ駆けつけてくれたんだ。沙耶だって体調が悪いのに、君のために故郷の料理を用意してくれたんだぞ」
私は黙って彼の叱責を聞きながら、目の前の母の遺体を見つめていた。この瞬間、私の心は完全に死んだ。
彼が言い終えると、私は淡々と返した。
「私たち、バレンタインデーを一緒に過ごすのは、もうやめましょう。そちらで召し上がってください」
「なにを言ってるんだ!」
蓮の声の調子が一気に高くなり、怒鳴った。
「今回君たちを呼んだのは、俺たちの結婚のためだ。そんな態度なら、結婚のことなんて二度と考えるな」
「じゃあ、ご希望どおりに」
私はあっさりと答えた。
「別れましょう」
電話の向こうは、一瞬で静かになった。
私と蓮は、海外で働いていたときに知り合った。
5年一緒にいて、どんなカップルもぶつかる問題は経験してきた。けれど、一度だって別れを口にしたことはなかった。
「自分が何を言ってるのか、わかってるの?」
電話の向こうはしばらく沈黙した後、蓮が信じられないといった声で、もう一度問い詰めてきた。
私は小さく「ええ」とだけ言った。
そのとき、電話の向こうから突然、沙耶の声が聞こえてきた。
「蓮さん、痛み止めを探してくれませんか?なんだか熱っぽいんです」
蓮はすぐに慌てふためき、電話を切った。
切る前に、最後に私へこう言った。
「七海、その言葉は君が言ったんだ。あとで後悔しても知らないぞ」
電話が切れた。私は黙ってスマホをしまうしかなかった。
私は一人で全ての手続きを済ませ、母の遺体を国内へ連れ帰って埋葬した。
それから半月以上、蓮からは一度も電話がなかった。彼という存在は、私の周りからすっかり消えてしまったかのようだった。
たまにスマホを開いてSNSを見ると、蓮は何も投稿していなかったが、沙耶はほとんど毎日更新していた。
中央タワー、近代美術館、王立美術館……
写真の中の蓮は、沙耶と一緒にF国中の観光地を巡り尽くしていた。
コメント欄も、やけに賑やかだった。
【ついに蓮が、憧れの人と結ばれたんだな】
【わあ、沙耶、あなたたち本当にお似合いね!】
【結婚するときは、俺が絶対に出席するからな!】
……
私はそのコメントの中に、見覚えのある名前をいくつも見つけた。どれも、かつて私と蓮に共通の友人だった人たちだ。
以前の私なら、これを見たらきっと胸を痛めて怒り、蓮と喧嘩しただろう。けれど、そのときの私の心には、少しの波も立たなかった。
週末の休日、私は一人で家に引きこもり、ポテトチップスを食べながらテレビを見ていた。
夕方、蓮が突然帰ってきた。
私はちらりと彼を見ただけで、そのままテレビを見続け、何も言わなかった。
蓮は私の前に立ち、見下ろすようにして、気安い口調で言った。
「なんだ、このところ連絡しなかったから、怒ってるのか?
しばらく会えなかったから、思いっきり抱きしめたいな。会えなかった時間の分だけ、ずっと抱きしめてるから」
彼は甘い言葉を口にしながら、腰をかがめて私へ顔を寄せてきた。
私は彼の身体から漂う濃厚な香水の匂いを嗅ぎ取り、反射的に嫌悪して体を横へそらした。
蓮は抱きしめようと身を乗り出した格好のまま、一瞬固まった。
昔は、喧嘩しても、私がどんなに腹を立てていても、彼が優しく抱きしめてくると、それで機嫌が直ったものだ。
蓮は背筋を伸ばし、眉を深くひそめた。
「また、なにを拗ねてるんだ?」
私は何も言わず、立ち上がって隣のソファに座り、彼との距離を取った。
蓮は眉をさらに深くひそめ、苛立った様子で私に説明した。
「バレンタインデーの日に、俺が直接君とお義母さんを迎えに行かなかったのは、俺が悪かった。
でも、あれは沙耶が体調を崩していたからだ。病人を置いて、君を迎えに行けとでも言うのか?
俺の家族は、君たちを迎えるために準備を整えていたのに、結局君たちは来なかった。
それが俺の家族にとって、どれほどがっかりしたか、わかってるのか。
俺が必死に君たちをかばったからよかったものの、でなければ両親が俺たちの結婚を許すはずがなかったんだ」
彼はそう言いながら、鞄から書類の入った封筒を取り出した。
「中身は、両親が俺たちのために用意してくれた結婚指輪と、結婚後のハネムーンの費用だ。
一ヶ月後に結婚してほしいと言っている。この間、悪いが結婚式の準備を進めてくれ。
あとでお義母さんに電話するよ。きっと喜ぶだろう」
私は彼から封筒を受け取ると、そのまま傍らに置いた。中身を開けて見る気は、今はなかった。
「蓮、私たちはもう別れました。
それから、これから先、お母さんに電話をしないでください。お母さんがあなたの電話に出ることは、もうありませんから」
第2話
蓮はスマホを持つ手を止め、少し不機嫌そうにした。
「お義母さんに、君の今の態度を話してやる。お義母さんは俺にあんなに良くしてくれたんだ。君に、どうしてお義母さんに電話させてもらえないんだ?」
私は彼をじっと見つめた。呼吸をするだけで、胸が刺すように痛んだ。
私たちが5年付き合ううち、母はずっと彼を我が子のように見てきた。私にすら、彼以上に良くしてくれたほどだ。
私が彼を家へ連れて帰るたび、母は自ら台所に立って、彼のために料理を作ってくれた。
一度、彼が水が合わずに体調を崩したときは、母は一晩中眠らず、ずっと彼の傍で看病してくれた。
5年一緒にいて、母が心から彼を気に入っているのは、私にもわかっていた。
だから、蓮の家族が私たちをF国へ招待してくれたとき、母は迷いもせずに承諾した。
出国前、母は蓮の家族に最高の印象を残そうと、何日も前から髪を整え、大金をはたいて蓮の家族へのプレゼントを用意した。
その日、母はわざわざ、父が昔母に贈った懐中時計まで身につけていた。
そのときの母は、母自身を代表していたわけではない。母と父、二人の私への最大の愛情を、代弁していたのだ。
結局、どうなったというのか。飛行機を降りたとき、蓮は私たちに自分でタクシーを拾って来いと言い、そのまま電話を切った。
私はそのとき、とても腹が立ち、まだ彼に電話をかけ続けようとした。
それを止めたのは母だった。蓮はきっと、本当に急用ができたのだろうと、私をなだめ、慰めてくれた。
私は母に従ったが、まさか、そのせいで母が異国の地で命を落とすことになるとは、思いもしなかった。
今思えば、あの頃に戻って、あんな選択をした自分を思いっきりぶん殴ってやりたいとさえ思う。
私がずっと黙っているのを見て、蓮は電話をかけようとした手を止めた。
「俺に何か言うことはないのか?」
私は顔を上げて彼をちらりと見やり、思わず嘲笑を浮かべた。
彼は私のその目つきに腹を立て、どうやら私と喧嘩をしたい様子だった。
けれど彼が口を開くより先に、スマホの着信音が鳴った。
それは彼が普段使っている着信音ではなく、どこかわざとらしい女の歌声だった。
その着信音を聞いた蓮は、たちまち私との喧嘩どころではなくなり、スマホを手に外のバルコニーへ出て電話に出た。
私はかすかに、彼が話す声を聞くことができた。
「なに?彼女が病院に……
すぐ行く」
バルコニーから戻ると、蓮は慌ただしく上着を手に取り、外へ出ていこうとした。私を一目見る余裕すらなかった。
彼のあまりにも冷たい背中を見つめながら、胸の奥に苦いものが込み上げてきた。けれど、それも少しずつ薄れていった。
おそらく、沙耶が彼の傍に現れたその瞬間から、私たちの間のすべては、もう変わっていたのだ。
私が去るべきときが来たのだろう。
昔、母と話したとき、母は「人生で一番の夢は、ななと一緒に旅をすること」だと言っていた。
私は母に、旅行へ連れて行くと約束していた。
今、母はもういない。けれど、私はまだその約束を果たしていない。
私は母の遺影を連れて、この世界を見て回ろうと決めた。
最初の行き先はヨーロッパにしようと計画した。母が昔、父と一緒になったのは、父が母に聞かせてくれたヨーロッパの物語のおかげだと言っていたからだ。
資料を調べていると、沙耶のSNSがまた更新された。
すぐにそれを開き、写真を見た瞬間、私は後悔した。
沙耶が投稿したどの写真も、主役は蓮だった。
どの写真の蓮も優しく笑っていて、私が見たことのない笑顔だった。
私は小さく息を吐き、胸の内が切なさでいっぱいになった。
蓮と5年一緒にいて、彼がこんなに優しく私を気遣ってくれたことは一度もなかった。仕事が忙しくて休みなく働き、急性胃炎を起こして病院に運ばれたときでさえ、彼は私のために一度も料理を作ってくれたことがなかった。
けれど、沙耶の前では、蓮は気遣いのできる優しい男だった。その姿を見て、私はようやく悟った。愛しているかどうかには、はっきりと差があるのだと。
第3話
あの日、蓮が出ていってから、私たちは一度も顔を合わせなかった。彼は家にも帰らず、会社にも来なかった。
私は彼がどこにいようと、もう気にならなかった。それはもう、私には関係のないことだったから。
一週間後、蓮のアシスタントから突然電話がかかってきた。株主へプロジェクトの報告をしなければならず、プロジェクト責任者である私が、どうしても出席しなければならないという。
私は蓮と完全に別れると決めていたし、会社のことなど、もうどうでもよくなっていた。
けれど、アシスタントの少し哀願するような口調を聞いているうちに、このプロジェクトのために私がチームを率いて半年近くも必死に働いてきたことを思い出した。最後の最後で、それを水の泡になんてできない。
「わかりました。時間どおりに行きます」
私はやはり、引き受けることにした。
5年前、大学を卒業したとき、実は私は他の会社から内定をもらっていた。けれどそのとき、蓮の会社は大きな危機に直面していて、彼を助けるために、私は他の仕事のチャンスを捨て、迷わず彼と一緒に起業したのだった。
この数年、私は仕事を生活そのもののように生きてきた。それだけの努力を重ねて、私たちの会社は、これ以上ないほど小さなベンチャー企業から、注目を集める有望企業へと成長していた。
そのおかげで、佐伯家も私を受け入れてくれて、結婚の話をするため、私と母をF国へ招待してくれるまでになったのだ。
会場は、とても広く、豪華に設えられていた。
私が着いてまもなく、まだプロジェクトチームのメンバーに挨拶もできないうちに、蓮に脇へ引っ張っていかれた。
彼は、この数日私が元気だったかどうかも尋ねず、何日も帰らなかった理由を説明することもなかった。
その代わりに、口を開くや命令したのだ。
「七海、今回のプロジェクト報告は、君は壇上に上がらなくていい。会社で新しい発言者を手配した」
自分の目で見たのでなければ、目の前の蓮は、まるで別人とすり替えられたのではないかと疑ったかもしれない。
このプロジェクトは、立ち上げから今まで、私が総責任者だった。会社の上から下まで、私以上にこのプロジェクトの事情を知る者はいないと言ってもよかった。
なのに、この土壇場になって、人を替えると言い出したのだ。
蓮がどうして、こんなおかしい手配をしたのか、私にはどうしても理解できなかった。
壇上から、聞き覚えのある声が聞こえてくるまでは。
「株主の皆さま、ようこそお越しくださいました……」
着飾って堂々と壇上に立っていたのは、なんと沙耶だった。
彼女を見た瞬間、すべてを悟った。
会社を挙げて重視していた今回の説明会も、蓮の目には、好きな女に箔をつけるための、舞台でしかなかったのだ。
「これが、あなたが用意した人ですか?」
私は冷たい目で彼を見た。
蓮は鼻を触り、後ろめたくて私の目を見られずに言い訳した。
「君は結局、このプロジェクトの責任者だろう。この後、株主への詳しい説明には、君が必要なんだ。
七海、君が名誉や利益を追う人間じゃないことは、俺だってわかってる。それに君はもう、十分に成功している。
沙耶は違う。彼女は働き始めてまだ間もない新人だ。こんな能力を鍛える機会があれば、彼女の今後にとても役に立つんだ」
彼は言い訳を続けたが、沙耶に私の居場所を奪わせたことへの謝罪の言葉を、彼から一言も聞くことができなかった。
私はそんな蓮を見ながら、まるで彼のことを一度も知らなかったかのような気持ちになった。
以前、彼の目には私しかいなかった。喜びも失敗も私と分かち合い、私を抱きしめて、私の才能を褒めてくれた。
ところが、沙耶が現れて、蓮の秘書として会社に入ってから、すべてが変わり始めた。
彼は会社のことも日々の些細な出来事も、私と話してくれなくなった。頻繁に出張するようになり、その行き先すら、私ははっきり説明できなくなっていた。
それでも母は異変に気づいて、私に忠告してくれた。
「なな、最近蓮くんが家に来ないけど、喧嘩でもしたの?
彼の傍に、女性の秘書でも来たんじゃない?ちゃんと注意しなきゃだめよ……」
当時、母の忠告を聞いても、私はまるで気に留めず、かえって二人のことをかばっていた。
「お母さん、蓮の傍にいる秘書は、大学時代の後輩なの。蓮はずっと妹のように思ってるだけよ。
二人がもし付き合うなら、とっくに付き合ってるわ。今さらなんてこと、ありえないんだから」
今思えば、あのときの私は、本当に愚かだった。
こんな結末を招いたのは自業自得だろう。この人生で、男の口から出るでたらめを信じてしまったのだから。
蓮は長々と話しても、私が何も言わなかった。こんな私の反応を見て、彼はきっと、昔のように私がまた彼の言い分を受け入れたと思ったのだろう。
私がこんなに聞き分けが良いのを見て、彼はとても嬉しそうに言った。
「七海、最近忙しすぎて、結婚式の準備がどこまで進んだか聞くのを忘れてたよ。
あと一週間ほどで、俺たちは結婚式を挙げるんだ。嬉しいか?」
私は彼の言葉に答えなかった。
結婚式?
たとえ結婚するとしても、新郎は絶対に蓮ではない。
蓮は私の反応に気づかず、なおも一人で話し続けた。
「俺たちがもうすぐ結婚式を挙げることを、お義母さんもきっと喜んでくれる。
結婚式の日取りを、直接伝えたいんだが、どういうわけか、お義母さんの電話がまったくつながらない。
番号を変えたのに、君が教えてくれなかったのか?」
蓮は顔を伏せて、私に尋ねた。
けれど彼の言葉の多くは、実のところ、私の耳にはあまり入っていなかった。
壇上の説明が終わり、会場には拍手が響いていたからだ。
沙耶は口元に笑みを浮かべ、興奮した様子で礼を言い、壇を下りた。
彼女の様子を見て、私の顔にはいっそう冷たさが増した。
沙耶のスピーチでは、このプロジェクトの責任者はまるで彼女であるかのようだった。
けれど、このプロジェクトは始まりから今まで、彼女が一度だって力を貸したことはなかった。
会社でこのプロジェクトを知る者たちは、今ごろ沙耶を指さしてひそひそと話し、その目には軽蔑と蔑みが浮かんでいた。
もっとも、沙耶にはそんなものは見えていなかった。彼女の目には、蓮しかいなかった。
「蓮さん、さっきの私のスピーチ、なかなかできたでしょう?こんな自己表現の機会をくれて、本当にありがとうございます」
第4話
「とても良かったよ」
沙耶が現れた瞬間、蓮の目は彼女に釘付けになっていた。
二人は周りの目も気にせず、甘くじゃれ合っていた。
沙耶は挑発的な目つきで、私をちらりと見た。
彼女は私に宣戦布告し、自分の勝利を見せつけているのだ。
だが、私の目標は、いつだって男一人ではなかった。私の価値も、男を喜ばせることなどに、これまで一度もなかった。
沙耶の挑発は、私の目には、幼い子どもが自分の独占欲を主張しているようにしか見えなかった。
こんな幼稚な行為に、私は怒ったりしない。以前もしなかったし、今はなおさらだ。
蓮は沙耶を連れて、株主たちと話していた。
二人は、まさに人々の注目の的だった。
沙耶は彼の傍に寄り添い、まるで恋人同士のように親密だった。
私はそんな光景を冷ややかに眺め、グラスの酒を飲み干すと、この見せ物のような会場を後にした。
私は会社に置いてあった私物を、すべてまとめて持ち帰った。
家に着くと、スマホに沙耶から送られてきた動画が届いていた。
動画には、酒に酔った蓮が沙耶を抱き寄せ、睦み合う様子が映っていた。
カメラに向かって、沙耶は挑発的で得意げな笑みを浮かべていた。
私は動画を一目見て、ふっと笑った。
心には、一片の波も立たなかった。
落ち着いてパソコンを開き、まず人事部へ辞表を送り、それからSNSに会社を去るという声明を投稿した。
すると、あっという間に業界全体が沸き立った。
これまで関わってきた同業者やクライアントが、次々とメッセージを送り、電話をかけてきて、事情を尋ねてきた。
とりわけ、プロジェクトへ投資しようとしていた人々は、今にも急き込むように、本当なのかと私に確認してきた。
私たちの会社を知るクライアントなら、今の会社で最も重要なプロジェクトの責任者が私だと、誰もが知っていた。
つい先日、プロジェクト説明会を開いたばかりだった。その責任者が退職したとなれば、投資しようとしていた人々も、投資リスクを改めて見直さなければならなくなった。
蓮と投資の意向を固めていた人々は、私の声明を見るやいなや、次々と手を引き、様子見を始めた。
投資がなければ会社の発展は止まり、これまでの投資も水の泡になりかねなかった。
蓮はそれに気づき、一瞬で慌てふためいた。
彼は私に電話をかけてきたが、私は切った。すると彼は、なんと会場から飛び出して、家まで駆けつけ、直接私と対峙したのだった。
彼は、部屋の中にすでにまとめられた私のスーツケースを見て、一瞬固まった。
それでもまるで気にも留めず、直接問い詰めてきた。
「七海、頭は大丈夫か?
どうしてこんな大事なときに、あんな声明を出すんだ!
君のせいで、会社のこの半年近くの努力が、全部水の泡になったんだぞ!」
私は彼を一瞥した。本当に、目を向けることすら億劫だった。
「お話が終わったなら、もう私の部屋から出て行ってください。
会社には、もう辞表を提出しました。
それに、説明会では、あなたの秘書が、このプロジェクトの責任者は自分だと言っていました。問題が起きたのなら、私ではなく、彼女のところへ行くべきでしょう」
私は彼を押し出して、そのまま扉の外へ出し、それから荷物を確認し始めた。
私はもう、ヨーロッパ行きの航空券を買ってあり、すぐにでも出発するつもりだった。
蓮は扉の外に押し出され、腹を立てて、しばらくドアを叩き、わめいていたが、やがて静かになった。
私は、彼がようやく諦めて、もう私に時間を無駄にしないのだと思った。
そのとき、会社のアシスタントから電話がかかってきた。
「七海さん、大変です。会社が大混乱です!
社長の新しい秘書さんが、今、会社で自殺しようとしているんです!」